結城一誠過去作品展示
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●リレー連載映画レヴュウ/第十五回 『或る郊外の<怪奇>―『人間の約束』』
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閉鎖空間としての家前述で悲劇、惨劇と表現したが、この映画でそうした悲劇的な部分は時に乱反射的に、見る者によっては喜劇にも変化する。そして同時に、恐怖をも誘う。何を持ってそれを恐怖とするかは、実に私感として語り得るところになってしまうが、この映画には恐怖の要素が事実満載なのである。
まず物語の起点は“老女の不審死”である。そして、舞台は無味乾燥な郊外の閉鎖空間としての一軒家、閉鎖空間としての病院なのである。映像空間としてホラーの芽生えを及ぼすには格好の設定なのである。また恐怖を演出する<装置>としての物やモティーフの存在を欠かすことはできない。水鏡例えば、老女が生前好んで枕元に置いていた金盥に水を張った水鏡。これは映画全体に渡って登場する。鏡像を通して老女が自らを憐れみ、反面自らを女と意識する媒体、死への渇望―此岸と彼岸を繋ぐ媒体、老女の古き遠き回想を及ぼす媒体としての水鏡。水鏡という発想は凡そ現代人の感覚とは掛け離れたものである。静止した水面はスクリーンとなりうるが、しかし、固定されてない限りに一瞬の空気のゆらぎで崩れる儚いものでもある。この水鏡、簡素極まりないものだが、映画では実に妖しい魅力を放つものである。水鏡に和装の老女が自らの顔を映す。子供時代に郷里の大沼で、水藻を採った思い出を語る老女はその夜家族の前で初めて粗相、つまり失禁をしてしまう。突然の異変に翻弄される家族。老女の痴呆が進むに連れ、水藻採りvい出もその後幾度かアクセントとして出てくる 。水鏡に重ね合わせるように映像としてインサートされる沼に揺れる水藻の姿とともに。夜の病棟やがて老女は、夫の計らいで老人病院の大部屋病室に入院させられる。入院初日の一晩は夫が介抱することになった。「死なせて、死なせて」という妻の言葉に病室の同居患者たちが嘲りの笑いを向ける。夫が病室を出てゴミを捨てに行く。暗い夜の病院、静まり返った廊下に病室の患者たちの啜り笑いが響く。背筋がぞっとする描写だ。たどり着いた給湯室の鏡に映った自分の姿に挨拶する夫。それが鏡であることが分からなくなっていたのだ。帰り際に覗いた男性患者の病室では、患者たちが奇声を上げながらベッドのシーツを破いていた。裂いたシーツで首を括ろうとする者。切れっぱしを別の患者の口に入れる者。翳りの中のこの病室の描写は、怪奇な側面を異化することなく撮っているからか、余計にその迫力がじわじわ伝わる。眩惑なくも、一体何が起きてるんだという当惑さえ見る者に味わわせながら。
浴槽に沈む老女老女の退院を経て息子夫婦による自宅介護が始まると、老女は嫁の言うことをなかなか聞かなくなる。「おんなのあれが…」とふざけてありもしない月経を理由に入浴を断るシーンで、嫌々ながらに浴槽に入った老女を捉える映像がある。まるで水死体のように肌の色艶を失い、湯舟に沈んでいく老女。展開されるのはほぼモノクロームの世界。浮き沈みを繰り返す老女に対し嫁は一瞬躊躇い、水藻のように水面下で揺れながら沈んでいく老女を見過ごす。未必の故意を色褪せた淡い映像で描いた場面。この後、老女は夫により救われるのだが、やはり映像のコントラストに起伏はなく、淡々と無時間的に状況が描かれていく。繋ぎのシーンで、居間のテレビから怪しげなコマーシャルやアン・ルイスの「六本木心中」が流れてくる。その間も家族の会話、生活が進行する様は、リアリティよりもシュールな趣を感じさせ、閉鎖空間としての家が普遍的な機能を失い、異様な場所として目に映る。恐怖感というより不安や不快感とでも読める空気が立ち込める中を、家族は老女とともに幾度かの朝と夜を迎える。それを見守る如く、の廊下の突き当たりには、一体の陶製の仏頭が。

仏頭の見守る中で

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