『東京オリンピック』という記録映画がある。監督を務めたのは、かつて『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』などの横溝正史原作シリーズの映画化を果たし、テレビドラマ「木枯し紋次郎」シリーズのディレクターを務め、『どら平太』『細雪』『股旅』『ビルマの竪琴』などの評価の高い映画作品を作り出す一方で『竹取物語』という怪作を遺した映画監督といえば、お分かりだろうか。先月他界した邦画界の巨匠・市川崑である。『東京オリンピック』とはその市川崑が総監督を務めた1965年公開の第18回オリンピアード競技大会(オリンピック)東京大会の公式記録映画である。
この作品には公開当時、「記録か芸術か」という点で一大論争、賛否両論を巻き起こした過去がある。その要因はこの映画が「競技記録」に徹底せず、選手や審判員、競技役員、観客の表情を捉えるばかりで、全競技に渡る記録をしていないとか何とか、「記録性に欠ける」という理由で当時のオリンピック担当大臣からクレームが出たことに始まる。しかし、現代に至ってはオリンピックが東京で開催されたという事実をリアリティとして持ってない、東京オリンピックを知らない世代が日本国人口の約半数を占めてしまっていることで、結果的にその事実の記録として受容できる貴重な資料であると言えようか。
この記録映画はまず画面一杯に太陽が映された直後、「破壊」から始まる。戦後復興の仕上げである「オリンピック再開発」への序章である「破壊」のシーンから。鉄球で解体される旧時代の建築物、解体作業に従事する黄ヘルの作業員達の表情の裏で、近代オリンピック開催の歴史を伝えるナレーション。「第17回1960年ローマ、イタリア…第18回1964年東京、日本」、そしてタイトル『東京オリンピック』。映画の始まりである。
オリンポスの丘で点火された「聖火」がギリシアからアジア諸国を経て東京に至るまでの描写、途中広島平和公園での人だかりの中を聖火ランナーが走り抜けていく。はしゃぎ回る子供達、押し合いへし合いで顔をしかめる見物人。そして、本当にこんな状況があったのかと一見疑いを持ってしまいそうな問題のシーン「富士山をバックにその裾野を走り抜ける聖火」。そして、いよいよ聖火は東京に来る。
1964年10月10日。開会式。黛敏郎作曲のテープ音楽「オリンピック・カンパノロジー」(録音した鐘の音を加工して作られた)が流れる中、七万人余のキャパシティを許容する国立競技場に集い犇めき合う日本初め各国の観客達。「君が代」が流れ、騒然たる場内の観客、参列者が一同起立。此処までの間に、映像では沢山の観客の表情と情景がインサートされ、「いよいよ始まるのか」という緊迫感とオリンピックを迎え入れる興奮がまるで演出されたかのように織り成される。午後2時、入場行進開始。古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」の演奏が高らかに行われる中、五輪発祥国ギリシアからアルファベット順に参加国・地域が堂々の入場を果たしていく。アフリカ新興独立国など少数参加の国、米ソ英など大所帯の参加国、そして日本選手団、各々のユニフォームでの整然とした入場行進は現代の五輪では中々お目に掛かれない光景である。100台を超えるキャメラが多角的にこの行進の情況を捉えていく。時折、望遠レンズで捉えられる選手、役員の表情が待望の五輪開催に対するテンションの高まりを示している。実際、この東京オリンピックの時期からカラーテレビが国内外で普及し始めていたため、当時五輪の模様はテレビ中継されていた訳だが、テレビカメラが居座る横で、市川崑率いる邦画界の名キャメラマンが見逃すことなく一挙手一投足をキャッチしようとファインダーを覗く姿があったのだろうかと推し量ることができる。
-1-
|