結城一誠過去作品展示
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『東京オリンピック』1965年:170分:日本
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+INTRODUCTION+
市川崑が総監督を務めて制作された『東京オリンピック』。日本国内での配給収入は12億2321万円を記録。アスリートの心情の表現を重視した演出や、超望遠レンズをはじめとする複数のカメラを使った多角的な描写など、従来の「記録映画」とは全く性質の異なる極めて芸術性の高い作品に仕上げた。しかし、オリンピック担当大臣の河野一郎が「記録性に欠ける」とこれを批判したことから、「記録か芸術か」という論争を呼び起こすことになった。この時の騒動について市川は「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と後のインタビューで語っている(出典:1985年8月27日『朝日新聞』)。

その影響もあってか、英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている。一方市川自身も、オリンピック開催40周年を記念して2004年に発売されたDVDには、本人が再編集したディレクターズカットを原版とともに収録している。このディレクターズカット版も、公開当時に全体のバランスから入れざるを得なかった競技や、やや創作に偏り過ぎたというチャドのアスリートのエピソードがカットされたため、公開版より22分短い。

さまざまな波紋を広げながらも、『東京オリンピック』は同年度のカンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞。また映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は事実上日本映画史上最多であるといわれている。

引用元:Wikipedia
総監督
市川崑
プロデューサー
田口助太郎
脚本
市川崑
和田夏十
白坂依志夫
谷川俊太郎
撮影
林田重男
宮川一夫
中村謹司
田中正
音楽総監督
黛敏郎
ナレーター
三國一朗
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●リレー連載映画レヴュウ/第五回 結城一誠が見た
“第18回オリンピアード競技大会東京大会公式記録映画『東京オリンピック』”


『東京オリンピック』という記録映画がある。監督を務めたのは、かつて『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』などの横溝正史原作シリーズの映画化を果たし、テレビドラマ「木枯し紋次郎」シリーズのディレクターを務め、『どら平太』『細雪』『股旅』『ビルマの竪琴』などの評価の高い映画作品を作り出す一方で『竹取物語』という怪作を遺した映画監督といえば、お分かりだろうか。先月他界した邦画界の巨匠・市川崑である。『東京オリンピック』とはその市川崑が総監督を務めた1965年公開の第18回オリンピアード競技大会(オリンピック)東京大会の公式記録映画である。

この作品には公開当時、「記録か芸術か」という点で一大論争、賛否両論を巻き起こした過去がある。その要因はこの映画が「競技記録」に徹底せず、選手や審判員、競技役員、観客の表情を捉えるばかりで、全競技に渡る記録をしていないとか何とか、「記録性に欠ける」という理由で当時のオリンピック担当大臣からクレームが出たことに始まる。しかし、現代に至ってはオリンピックが東京で開催されたという事実をリアリティとして持ってない、東京オリンピックを知らない世代が日本国人口の約半数を占めてしまっていることで、結果的にその事実の記録として受容できる貴重な資料であると言えようか。

裾野を行く聖火 この記録映画はまず画面一杯に太陽が映された直後、「破壊」から始まる。戦後復興の仕上げである「オリンピック再開発」への序章である「破壊」のシーンから。鉄球で解体される旧時代の建築物、解体作業に従事する黄ヘルの作業員達の表情の裏で、近代オリンピック開催の歴史を伝えるナレーション。「第17回1960年ローマ、イタリア…第18回1964年東京、日本」、そしてタイトル『東京オリンピック』。映画の始まりである。
オリンポスの丘で点火された「聖火」がギリシアからアジア諸国を経て東京に至るまでの描写、途中広島平和公園での人だかりの中を聖火ランナーが走り抜けていく。はしゃぎ回る子供達、押し合いへし合いで顔をしかめる見物人。そして、本当にこんな状況があったのかと一見疑いを持ってしまいそうな問題のシーン「富士山をバックにその裾野を走り抜ける聖火」。そして、いよいよ聖火は東京に来る。

選手入場1964年10月10日。開会式。黛敏郎作曲のテープ音楽「オリンピック・カンパノロジー」(録音した鐘の音を加工して作られた)が流れる中、七万人余のキャパシティを許容する国立競技場に集い犇めき合う日本初め各国の観客達。「君が代」が流れ、騒然たる場内の観客、参列者が一同起立。此処までの間に、映像では沢山の観客の表情と情景がインサートされ、「いよいよ始まるのか」という緊迫感とオリンピックを迎え入れる興奮がまるで演出されたかのように織り成される。午後2時、入場行進開始。古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」の演奏が高らかに行われる中、五輪発祥国ギリシアからアルファベット順に参加国・地域が堂々の入場を果たしていく。アフリカ新興独立国など少数参加の国、米ソ英など大所帯の参加国、そして日本選手団、各々のユニフォームでの整然とした入場行進は現代の五輪では中々お目に掛かれない光景である。100台を超えるキャメラが多角的にこの行進の情況を捉えていく。時折、望遠レンズで捉えられる選手、役員の表情が待望の五輪開催に対するテンションの高まりを示している。実際、この東京オリンピックの時期からカラーテレビが国内外で普及し始めていたため、当時五輪の模様はテレビ中継されていた訳だが、テレビカメラが居座る横で、市川崑率いる邦画界の名キャメラマンが見逃すことなく一挙手一投足をキャッチしようとファインダーを覗く姿があったのだろうかと推し量ることができる。

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