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●リレー連載映画レヴュウ/第十五回 『或る郊外の<怪奇>―『人間の約束』』
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郊外の新興住宅地

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ざっと粗筋を浚っておくと、映画はまず一人の老女の不審な死から始まる。多摩市の新興住宅街にパトカーのサイレンが鳴り響き、通報元の家は非常の事態に置かれる。やがて老女の亡骸を核に親近者に対して警察による現場検証、事情聴取が執り行われる。夫自白のシーンいかにもベテランの刑事が、死んだ老女の夫、そしてその息子夫婦たちを前に、死体発見と確認までの経緯を聞き出す中、痴呆の進んできている夫が「おらが看取った」と自白する。老いた夫に対して聴取が始まり、やがて回想する形で、老女の死までの時間経過が綴られる。突然なる老女の異変、つまり痴呆発症とそれを起点とする家族の変貌と苦悩が描かれる。老女は病院に入れられ、その内、夫のボケも進行し、息子夫婦は老女を退院させ自宅介護に踏み切る決意をする。 しかし、老女の病状は悪化する一方で、ボケによる夫の奇行も酷くなる。息子夫婦は介護に疲弊し精神的なバランスを見失う。老親と息子夫婦との関係瓦解、冷淡な孫の態度、息子夫婦間の擦れ違い。箍が外れかけ、事態は家族崩壊という闇を覗かせていた。そして雨の降りしきる夜が訪れる…。
老人の奇行を眺める家族この粗筋からして内容は郊外都市に住まう家族が抱える問題を軸にしたホームドラマの様相である。郊外都市の発展の過程は、実験台に仕立てられた地方都市における社会病理の変容の縮図でもある。中長距離通勤・満員電車・道路渋滞による交通ストレス、強要される近隣者とのコミュニケーションと家族内ディスコミュニケーションへの加速、ニュータウン計画の理想と現実における不便・不都合・不均衡、確立しない文化圏。こうしたものが嵩んだ上に、社会化する人間の成長としてではなく、押し込まれた住環境への順応性として良心と魔の姑息な使い分けを日和見的に覚える中で、居住する人間の心はひび割れ、心身のバランスは歪む。都市近郊の在り様とは、今やこの歪曲の果てに描かれ、悪夢のような幻惑作用すら派生させる不穏なる空間として存在しているといっても過言ではい、と私感ではあるが思うのだが、この映画は正にこうした都市近郊の在り様を奇しく写し取り、そこに疎外されつ惑わされつの人間存在を浮き彫りにした、いわばあまりにも生々しく身近な事象故にできれば触れたくはない気味悪さが描かれた作品である。それだけにテーマは重苦しい。映画での演者は<燻し銀>の俳優陣なのだが、反面、映画で描かれる場所の描写には見る者の体内に少しづつ銀が溜まっていくようなそんな重苦しさがある。映像でも示される乾き切った都市の空虚感は、都市計画によって形成された<模造都市の匿名性>からなるのであろうか。街並も風景もとても情緒のあるものとは言えない。あるのは計画的に経済効率主体で造られた荒涼としたコンクリート団地の塊と整然と並んだ分譲住宅街ばかり、 こうした所狭しと詰め込まれた風景はエコノミー大国の怪異である。無味乾燥な街の在り様に重なって、のしかかる空気の重苦しさ。皮肉にもこの比重をやっとのことで支えてるのが、都市近郊の住民なのである。<ベッドタウン幻想>、映画における物語はこうした土壌に谺する無声の悲哀に満ちたものとなり、映画を見る者は憂いながら二重三重に連なる惨劇の目撃者になるのだ。その都市近郊の在り様が<閉鎖空間>としての家庭を提供する前提、これが映画の中で起きる悲劇に対する目撃の目安となる。
ベッドタウン幻想

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