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●リレー連載映画レヴュウ/第十三回 『悪と暴力の向こう側 〜ミヒャエル・ハネケについて〜』 | ||||
■ 観客の好奇心は描かれている状況が正確なことより生まれる」(ハネケ)
『ファニーゲーム』から例を挙げよう。平和な家族に突然進入してきたパウロとトムの二人組は、息子が見ている前で母親のアナに服を脱ぐように命令する。 多くの観客はそのシーンに不愉快を感じるだろう。なぜなら「裸になることで母親が性的な意味合いを帯びる」なか「母親の性的な場に息子が居合わせる」からである。 というのも、この二つの要素の組み合わせは、文明社会が無意識に忌避する領域に触れているからだ。近親間での性的な関係性は、文明社会が進展するに及んで次第に《避けるべきもの》とみなされてきた。 このタブーを強制的に犯させようとする事で、暴力が生まれる。銃を持っている限りパウロとトムの二人組は絶対的に強者なのである。彼等の命令に反すれば殺される。そこに強制力を行使する者と、従じる者の関係が生じるのである。この絶対的な力関係が暴力を促す。その結果、アナは服を脱ぐのである。ある意味で、この映画の中でもっとも暴力的なシーンかもしれない。 しかしこれだけであれば、ハネケはただのバイオレンスな映画監督でしかない。なぜならこの構図は「一方が、一方を支配する」という最も単純な形の暴力に過ぎないからだ。むしろ彼をして一流の映画監督にならしめたのは、もうひとつの暴力の側面に気づいたからであろう。 『ベニーズビデオ』(1992)で、主人公ベニーは偶然にも、自慢気に見せびらかしていた屠殺用の銃で女の子の腹を撃ってしまう。たまたまレンタルビデオ屋で出会った子だった。 観ていて恐ろしかったのは、彼が少女に向けて引き金を引くシーンではない。むしろそれに続く数分間――腹を撃たれた少女が「痛い、痛い」と絶叫する状況に、ベニーが戸惑うシーンだった。 起こってしまった出来事に、ベニーは彼女を助けようとする。血を流す彼女を、何とか介抱しようと抱き起こすのである。しかしその一方で、叫び声が隣近所に響く事を彼は恐れてもいる。 床に倒れこむ彼女に、とりあえず口を閉じるよう彼は何度も頼む。だが、それが聞き入られないと分かると、ベニーは不意に考えを変え、「助けてあげる」と言いながら再び銃に弾を込めるのである。いっそ一思いに殺した方が楽になるということだ。 だがこの殺害もテレビ番組のように一発で済ますことはできない。彼は無様に何発も彼女に撃ち続けて、ようやく静かにさせることができるのである。 ここで注意したいのは、最初そこには明確な殺意はなかったということだ。 ベニーが彼女を自分の家に誘ったのも、たまたま彼女がビデオ屋のガラス越しに立っていたからに過ぎない。映画に彼女が興味を示していることが、彼の気にかかっただけなのだ。 「映画好きなの?」と彼は訊く。 「ええ」と彼女は答える。 事件が起こるまでは、取り出した屠殺用の銃はあくまでも彼女とのコミュニケーションの道具だった。それは少年が女の子に、不良っぽさをアピールするような、好意混じりの虚栄的な行動に過ぎなかったのである。 ここで我々は、コミュニケーションの齟齬が、時に互いに予想不可能な状態を引き起こす事を知るのである。 お互いに意思や感情がうまく伝達されている間は、問題は起こらない。だが悲劇は、あなたが差し出した手が、相手にうまく届かなかった場合に起こるのだ。それは時として、最初の意図とは裏腹に暴力にまで進展する。あなたの手は相手への侵入となって、威嚇とも、殴打とも変わるかもしれないのだから。 -2-
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