結城一誠過去作品展示
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●リレー連載映画レヴュウ/第十一回 『アメリカンナイトメア』
ジャケット



ウェス・クレイヴン
▼そもそもここで紹介される監督たちがホラーを撮ろうとしていたのか、という問題は当然設定されるべきだと思う。少なくとも「鮮血の美学」当時のクレイヴンと「悪魔のいけにえ」当時のフーパーについては充分考察の余地があるように思われる。その後クレイヴンは「エルム街の悪夢」と「スクリーム」においてジャンルホラーの中核へ入りこみ、フーパーはといえば「死霊伝説」「マングラー」等なかなか苦しい作品群によって一生懸命ジャンルホラーに貢献しようとしてくれてはいるが、そもそもの発端において彼らはホラー監督たろうとしたのかどうか。
私はどうも疑わしいと思う。ロメロにはジャンル愛を感じる。カーペンターにもそれはあるだろう。けれどもクレイヴンやフーパー、あるいはクローネンバーグについて云えば当時たまたま追いやられた座席が「ホラー」の一隅だった、という程度のような気がするのである。勿論彼らの作品がホラーでない、というのではない。このホラーである/ない論争というのを始めると喧々囂々モノスゴイ議論になってしまうので面倒なのだけれども、彼らの作品は皆ホラーだと思う。個人的には「サイコ」なんざよりずっとずっと立派にホラーだと思う。
けれども世が世なら彼らの作品は、たとえばポルノ映画の亜種と呼ばれていた可能性だってあったのではないか。ただ少なくとも彼らの作品には「ジャンルホラーの外側」をチラと感得させるものがある、それは間違いがない。
私は先にも述べたとおり映画愛というのが皆無であって、このレビューを通じて「この世には好きな映画など一本もなかった」という恐怖の事実に思い到ってしまったわけなのだが、それでも気になる映画というのは少しばかりあり、それがこの「アメリカンナイトメア」で紹介されているような60年代70年代のホラー作品なのである。それらの映画が「ホラーの外側」を感じさせてくれるから、さらに云うなら「物語の外側」「映画の外側」というべきものを感じさせてくれるから、というあたりに理由があるのはどうやら間違いがなさそうだ。ああホーキングよ、外宇宙を語れ。そうしてその分厚い眼鏡を俺にくれ。

ジョン・カーペンター
実証▼このドキュメントを見ていて思ったのは「これは歴とした偽史である」ということだ。勿論嬉しい偽史であることには違いない。フーパーやロメロのいるアメリカ怪奇映画史。けれど御大ハーシェル・ゴードン・ルイスは何処へ行ったんだ?クローネンバーグはカナダ人ではなかったのか?
それに悲惨な時代がホラー映画を生むというテーゼが正しいのならば、何故戦中戦後の我が国やドイツにおいてホラー映画が量産されなかったのか。今日のアフガンやらイラクやら北朝鮮においてなぜホラー映画が花盛りなのでないのか。そうした疑問に答えてはくれないし、アメリカンニューシネマやヌーヴェルバーグ、フラワームーブメントその他諸々周辺領域への言及も皆無である。幾時代かがありまして茶色い戦争がありましておっかない映画が生まれました、という具合に実に解りやすく話は進むのである。アメリカに特化した現象だから「アメリカンナイトメア」と題されているのだろうけどもね。アメリカだけではない。どんな国だって悪夢を見る筈だ。幻覚だって見る筈だ。ついには発狂して海に沈んでしまう筈だ。
いや公平を期すならば、一応実証主義の姿勢を見ることはできる。すなわちホラー映画の名場面と当時のニュース映像とが交互に写し出される演出法においてである。成程、よく似ている。確かに似ているのだし、クレイヴンやロメロも「当時社会の動きに影響されて撮った」と語っているのだが、仮にそうだとしても彼らの映画にあるプリミティブな荒ぶる力、触れると虫歯が痛むような蛮力を解説したことにはまるでならない。時代が悪けりゃゾンビが現れるのか?解らない。ホーキングよ、答えてくれ。そしてお前の電動車椅子を俺にくれ。
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