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●リレー連載映画レヴュウ/第六回 『チェンジリング』”
ジャケット

怪音が・・・
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 物語はこうである。
 妻子を交通事故で喪った作曲家が、傷心したままシアトル郊外のチェスマン館に移り住む。長く住むものがなく、市の歴史保存協会に管理されているような古い屋敷である。大学での講義、演奏会などシアトルでの生活に少しずつ馴染んできた頃、屋敷では奇妙な現象が起こりはじめる。

怪音が・・・  毎朝どこからか鳴り響く怪音。手も触れていないのに流れ出す水道。勝手に開くドア。気になって調べさせた作曲家に、ボイラー業者の男は「古い家には癖があるものだ」と話す。
 なるほど、確かにひとつひとつの現象を取りだしてみるなら、格別気にするほどのものではないであろう。壁を叩くように聞こえる轟音はボイラーの不調かも知れない。流れ出た水にしても、水道管の劣化とも考えられるのである。
ある意味でボイラー業者の語ることは正しい。
 しかし、それが偶然をこえた頻度で、それも主人公のはっきり見ている目の前で起こったとしたらどうか。それまでの些事は些事でなくなり、ひとつの大きな繋がりをもった怪異現象として立ち現れてくるのではないか。

 世にある実話怪談がまさにそうしたものである。
 Aという怪異が起こる。A自体はそれだけでは単なる偶然、ちょっとした奇妙な出来事に過ぎない。数日もすれば忘れ去られる日常の一風景である。しかしそこに偶々Bという別の要素が重なったとすれば〈A+B〉、というひとまとまりの物語、すなわち「怪談」が成立し、それ以降現象Aは単一で語られることがなくなる。
 たとえばこういう例をあげてみよう。
 夜中に突然、本棚から本が落下する。
 これだけならままある出来事であろう。しかし同日同時刻に親しい友人が急死していたとする。偶々落下したのがその友人の好きだった本だとする。するとたちまち「友人が自分の死を知らせてくれたのだ」といった怪談が出来上がり、「本の落下」という取り立てて語るほどもない現象が、語られるべき怪異現象に転化してゆく。

 ピーター・メダックが『チェンジリング』において採用しているのは、実はこうした実話怪談の手法だった。
 怪異それ自体は語るほどに派手なものではない。
 いやはっきりと地味であるのだが、ささやかな怪異だけでホラー映画を成り立たせることがどれだけ難しいかお解りであろうか。メダックは全編通じて亡霊をあからさまに登場させることはしていない。いやそれ以前に、作品の半ほどに到るまで何がどうして館に祟っているのかも明瞭にしないのである。
 説明をしない。
 幽霊を出さない。
 怪異はなるべくささやかな、ありふれたものとする。
 こうした幾重ものルールを課しながら、それでもメダックの演出がなまなかなホラー映画よりも怖ろしいのは、何でもない現象がふいに凶暴な顔を覗かせるという、実話怪談の定石を自家薬籠中のものとしているからに他ならない。

 ホラー映画の恐ろしさは多くの場合、怪物の恐ろしさであった。
 『オーメン』なら悪魔の子であり、『ヘルハウス』なら屋敷の怨霊である。『チェンジリング』と並んで「陰々滅々」という形容が相応しいもう一本のホラー映画、フリードキンの『エクソシスト』でさえも少女に取り憑く悪魔、という形で恐怖の所在が明らかにされていた。『エクソシスト』を怖がるということは、すなわち悪魔を怖がることである。
 けれど『チェンジリング』には、それがない。

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