ストーリーだけなら、結構面白く撮れるのではないと思うかもしれない。
実を言えばパッケージを手に取ったときに、ぼくも少しは期待した。しかし監督はやっぱりフルチだからね、油断はできない。
そもそもバイクレースなんだから、身体鍛える必要ないやん、とか考えてはいけない。主人公を助ける心強い仲間達だって、よく考えたらみな大量殺人犯だ。そういう要素をきれいに無視して映画を隙だらけにしてしまうのは、さすが帝王フルチの手法だ。いや、誉めているんだけどね、これは。
設定も変なら登場人物の性格も、やっぱり期待を裏切らない。
妻を殺されたばかりだというのに、この主人公のオトコ、早くも女研究員を口説き始めるのである。
「名前は?」
「サラよ」
「君は嘘をつくときの瞳がキュートだ」とかね。
ほかにも、主人公は逃亡を企てるんだが失敗したり、ナチス制服の監督の地獄の特訓があったり、あってもなくてもいいような話が続く。
そんなこんなで無駄なエピソードで時間を稼いでいる間も、刻一刻と迫る殺人ゲーム。90分の上映の間、もったりもったりとしたフルチ特有の筋運びに揺られていると、この映画が2時間ぐらいに思えてくるから不思議だ。
見所がないんだ。盛り上がりもないんだ。うーん、あるものは惰性ぐらいかあ、これは決して職人技というものではないな、とぼくは思わず画面の前でうなってしまったよ。
まあ、強いて重要な点を挙げるとすれば、SFとはいえヒロインがいる限り、ラブロマンスというものがあることだろうね。考えたらこういうシチュエーションはフルチの映画にしては実に珍しい。たいがい男も女も関係ないまま、ぐちゃぐちゃになって終わるからね。
大企業WBCの女研究員サラは、いつの間にか立場を忘れて、主人公に肩入れをしてしまう。敵同士とはいえ恋に落ちた二人は急速に近づいてゆく。
「君の名は?」
「サラよ」
違うのだ。ぼくがボケているわけではない。本当にこの映画、ヒロインに二回も名前を聞くのだよ。編集の段階で誰かが気付くと思うのだが、フルチには確認という辞書はないらしい。
これ以上会社に協力できないと決心したサラは、ひっそりと会社を抜けてある人物に助けを求めに走る。
「彼を助けるには先生の力が必要だわ」
向かったのは、かつての恩師、電子工学の権威トーマン教授の家だった。
いかにもイタリアらしい重厚な調度品に囲まれた教授の家の前、門の裏手にサラが近づくと、そこから聞こえてくるのは荘厳な賛美歌。
「トーマン教授、お会いできてよかったわ」
だが、どういうわけかこの教授、振り返った姿がインドのヨーギの姿なのである。そもそもこれはSF映画だし、賛美歌もまったく関係ないんだ。一体どういう意図でこのようなキャラにしたのか不明なんだがね。
インドに帰化した理由も全く分からないまま、実は登場して僅か5分もしないうちにこの教授も殺されてしまうし、お笑いではこういうのを出オチというんだが、まったく笑うに笑えない。
そんなグダグダのなか、命を賭けたデスレースが始まるのである。
反乱を企てた主人公はどうなるのか?そしてレースはいかなる結末を迎えるのか?衝撃のラストシーンはあなたが見るしかない。ただ、コレだけは断言できるが、ぼくはこの映画で90分とレンタル代を無駄にした。
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