結城一誠過去作品展示
INDEX ABOUT INFO CONTENTS ARCHIVE BBS LINK
REVIEW: TOP > INDEX > ARCHIVE > MOVIE
●リレー連載映画レヴュウ/第十五回 『或る郊外の<怪奇>―『人間の約束』』
ジャケット

●エピローグ

『戒厳令』公開当時の雑誌「アートシアター102号」に以下のような批評がある。
「吉田喜重は、決して、彼が謎と思ったものを、論理的に解明しようとはしない。おそらく、彼によれば、論理で解き明かしうるものは、それはすでに謎ではないのであろう。彼は、謎ときをしようとはしないで、彼のいい方を借りると、謎の“ありよう”を描こうとする。彼の資質と才能と努力は、その“ありよう”なるものをいかに正確に映像しうるかという一点に、全的にそそがれることになる。(映画評論家・品田雄吉氏の批評文章より抜粋)」。
成程、この批評を拝借すれば、吉田が正確に映し取るというのは、都市近郊の“ありよう”であり、具体的な人称ではない“あいつ”による尊属殺人に致る家族の“ありよう”であり、結果それらは謎として、見る者それぞれがどのように捉えるかというテーマがこの映画の帰結する点であると言えようか。明晰な答えが出ないまま、この映画は終局の時を迎える。映画の終わり。それは映画という空間に対する極私的な批評の基点であり、同時に解くべき謎の種子を一つ蒔くことにもなる。種子は萌芽し得ども、蕾を作り開花し得ども、謎は謎のままで猶在り続け、謎解きが明確になれば、形を得た答えとして顕れる。そして、そこから零れた種子がまた別の謎として目を出すことになるかも知れない。種子に必要な水や栄養、太陽光は即ち知識であり、思考実験であり、<足>であり、情熱であり、憤怒であろう。謎解きの萌芽と言えど、それは一回性のものではない。開花を経て得た種子を蒔いて、また新たなる謎に対峙していく契機に外ならないのである。
すべての映画が謎に充ち溢れているわけではない。しかし、映画とは質の良し悪しあれどそれ相応の謎が転がっている磁場である。映画を見続けること。これしかり、謎解きし続けることである。あるのだが、解くということはあくまで能動的なことだ。思考停止すれば、種子は腐り、不安材料をメタボリックシンドロームのように無下に蓄積していくだけである。無自覚に不毛な肥満を抱えることになるのかも知れない。とはいえこれは簡易なる比喩だが、直感そのように思う。あれ?もしやこれは、リレーレビューを通しての壮大なテーマだったのか?というのは、手前みそなのだが。

老女の不在と水鏡


ということで、朝宮運河、前原一人、EJ TAKA、湯魔、そして私結城の総勢五名による壮絶かつ軽快なリレーレビューもゴール地点に差し掛かろうとしている。
衣も破け、鉢も割れ、誰にも知られることもなく…という中国の詩人・蘇曼珠の詩を思い起こすが、それにしても、皆それぞれ個人的な格闘を経て面白いレビューを出してくるこの濃厚さは何なんだろうか。それもまたこのFLYERサイトの謎である。そして各人名士であると。

それではいずれまた、いつかの度に。
とはいえ、このリレー本当に終わるのか??

←BACK
-5-
CURRENT INDEX
 
AHEADINDEX
Copyright c2007 FLYER All right reserved.
画像使用について問題がありましたら「ABOUT」内メールフォーム、もしくはBBSにてご一報下さい。