●視点B…状況描写
まだまだ語ることはある。それがこの映画における状況の描写である。状況という語の定義が覚束ないが、ここでいう状況とは時系列、空気、台詞、風景、人物表情、あらゆる状態が一体化した場面全体を包括したもののことを言う。この状況が変化しつつ、展開してく様がまさにストーリーである。
前述の「空自三沢基地所有機がバッジシステムのハッキングにより架空の飛行をした」という非常事態の顛末を示した状況、これは正に画面、スクリーン全体で所狭しと画像情報、音声情報が錯綜するが、(ハリウッド映画のパニックシーンなどによく見られるあの大仰な騒動描写のように)単にゴチャゴチャせず、この映画では指示の流れ、時間と物体、人物の心情の動きが巧妙なカット割で編み出される。そしてP9のようにレーダー画面が時間と状態に導かれて刻々と現状況の地図を映し出す。実写以上の臨場感が湧き、観客は画面に釘付けにされる。
話の流れは前後するが、「ベイブリッジ爆破」の報道記事が読まれるシーンP10の画面構成も長けた状況描写の一つである。断片的に流れるニュースのナレーション、画面は爆破事件当時、湾岸上空を飛行していた16Jのシルエットの拡大写真がテレビ局の副調整室のような所で、疑惑の的としてクローズアップで青黒い不気味な空をバックにモニターに映される。時折、ホワイトノイズがザーッザーッと入る。よくある演出のように見えるが、そうでもない。暗く重い映像の反復が続く時間の尺が長いのに対し、状況が実に明確に伝わるシーンでもある。ナレーションも同じ声色でなく、多くの放送網のものを使用したように聞かせる辺りは情報の錯綜、スクランブル、マスコミュニケーションの日和見主義性、集合的沸騰性を皮肉っているように見えるが、皮肉とは言えジャン・リュック・ゴダールのテキストのように詩学的断片ではなく、情報として通じる内容なのだ。よって投げ掛けられるイメージや物語の流れは重層的になり、映画ストーリーの「行方不明」をも感じさせるスリルも観る側には舞い降りてくる。
クライマックスのP11。ここでの状況描写も魅力的なシーンである。飛び立つ白い鳩、冬の暗い空、柘植と南雲の語らい、詩篇の響き、あらゆる情報をここぞとばかりに詰め込んだ不自然な場面であるようにも感じるが、これはその前の下り、地下通路での戦闘シーンP12に於ける赤色+黒色のコンポジション、戦いのフォルムとの対比として見ることができる。そしてそのP11とP12の明暗、濃淡、地下地上のコントラスト以上に、解決と緊迫のフォルムと言おうか、映画自体のカタルシス(感情作用の浄化ではなく事態終結への晩鐘が鳴るエピローグ)が、あの白さと冬の清々しい空気と呼吸、静かな海というロケーションで迎えられるという意義が実感されるままに、やがて映画は締め括られる。護送用ヘリコプターにて柘植が眼下の東京を見つめながら「もう少しこの街の未来を見たかった」という台詞とともに。
●エピローグ
というわけで、部分部分だけをつまみ出して粗筋に照応してない形でのやけに独善的なレビューとなってしまった。〆切りがある関係上このように駆け足でのスキップレビューとなってしまったので、これについては再度改めて書き直しやストーリーとの照らし合わせも含めて、出し直す必要を今この上なく感じる。やっぱり熟考してない分、抜けてる部分が多いのです。直前で滑り込みって精神はこれだから、悔いが多いのだが、まあこれはこれで一先ず投了します。
さて、二巡目が終わりました。
そしていよいよ次週から三巡目。惜しむべき最終リレーなのです。やあ、ここは仕切り直し、お口直しで再び朝宮運河氏に後続をお願いしましょう。4・6・4・9、4 1・2・6。加油、アサミヤン!!(文責・結城一誠)
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