結城一誠過去作品展示
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「蟲丸180%」「蟲丸の大ピラミッド」「HOTPANTS」前編    三上蟲丸
byEJ TAKA(from「自分BOX」)
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「いとしさと、せつなさと、心強さと」は元東京パフォオマンス・ドオルの篠原涼子が90年代に飛ばした痛快なヒット曲だが、「男色と、せつなさと、田舎臭さと」と並べば、もうこれは蟲丸以外にありえない。
 惜しくも1977年に、その壮絶な人生の幕を下ろした三上蟲丸だったが、そんな彼をより多くの人々に知ってもらいたいと、わたしがオフィスRHというレーベルを立ち上げてもうずいぶんになる。2007年現在、発表したアルバムは三枚、待望される4枚目のアルバム(「熱いポテト」officeRH 2007)も近日のうちに発売予定である。
 物故したアーティストが現在のシーンにこれほどまで影響を与えることは、決してありふれたと言うことではない。聞くところによると、いまどきの太陽族とでも呼ぶべき「オニイ」なヤング達が享受する「トランス・ミュウジック」たるもので蟲丸が流されることが多いらしい。音楽という因果な商売に身をやつし続けたわたしも、今年で米寿を迎えるわけだが、まことに長生きと筆おろしだけはしておくものである。

 わたしが蟲丸と出会ったきっかけは、あの戦後間もない混乱期にさかのぼる。いまどきの若者は「火垂るの墓」などで、戦中・戦後の日本をかろうじて知っているかもしれないが、わたしに言わせれば、当時の日本はあんなものではなかった。
 だが、これは戦後を振り返る老人の愚かしい回想録ではない。蟲丸との出会いだけを簡単に述べるなら、とある関西の小都市での出来事に端を発する。
 わたしは復員してきたばかりで、世の中に何も希望が見出せなかった。
 家族も身よりもないわたしのような男の目に映るのは、果てのない焼け跡と混乱のみで、考えることと言えば今日の一杯の雑炊をどのようにして手に入れるかと言うことだった。
 戦後ヤミ市のドサクサの中で、その男は輝いていたのである。嘘ではない。金色に輝いていた。その当時二十歳そこそこの彼だったが、どこから調達してきたのか(おそらく米軍の横流し品だったに違いない)、一糸まとわぬ裸体の上に金粉をまとい、琵琶を抱えていたのである。彼は濡れた犬の目をしていた。
 大げさだと、貴方は笑うかもしれないが、混迷する日本の中で、わたしは神を見た思いだったのである。瓦礫と化した街の中、何にもまして時代を先取っていた精神があるとすれば、それは間違いなく彼だった。

 当時の彼が琵琶と言う、今思えば返って前衛的な楽器を手にしていたということは、昨今の蟲丸フアンにとっては興味深い事実なのではないだろうか。やがて彼と知り合うにつれ、図らずもわたしは蟲丸が胸の中に抱え続けている原風景とでも言うべき荒涼とした虚無を知る事になる。
 二・二六事件に乗り遅れてしまった――と彼は言った。わたしにすれば、あれは思いつめた青年将校による悲しい憂国の一事件であったが、当時十歳ほどだった蟲丸少年は、青年将校に激しく共感したと言う。いやそれはむしろ恋と言っても良いだろう。
 血気盛んな青年将校たちの引き締まった身体、薔薇色の頬は十歳の少年には余りにも刺激が強すぎたものがあったのかもしれない。気がつけば、少年蟲丸は、己と将校達を重ね合わせることを夢想するようになっていた。
 
 しばらくはヤミ市に通いつめる日々が続いた。希望をなくした復員兵たちの熱いまなざしの中、蟲丸は歌い続けた。例えは悪いかもしれないが「和製マリリン・モンロウ」とでも言えば分かってもらえるだろうか。
 時折、彼は趣向を凝らして花嫁衣裳一枚で現れることがあったが、金襴緞子の帯を締めた花嫁衣裳の裾から、チラリチラリと彼の毛脛が見える瞬間など、我々は夢のような思いで彼を見つめた。
 RHフレンドルを設立しようと、わたしが思いついたのもその頃であった。この音源は残さなくてはいけない。蟲丸はこのヤミ市のスタアごときで納まるような人間ではなく、もっと国家レベルで活力を与えられるような有益な人間だと確信していたのであった。

 しかし運命とは残酷なものである。わたしの儚い希望とは裏腹に、別れは唐突に訪れた。
 噂を聞きつけた米軍将校が(彼の名は歴史の教科書にも載っているので、ここではMと表記しておくだけにとどめておこう)、興奮の余り蟲丸に乱暴を働いたのである。
 音楽に国境はなく、今思えばこれは余りにも蟲丸に熱狂しすぎた結果だと解釈してはいるのだが、誰もが彼を腕の中に抱いてみたいと、願わない者がいただろうか?一線を越えたのは、皮肉にも飢えた我々ではなく、満たされた米軍だった。
 その日わたしがいつものようにヤミ市に向かうと、ステエジの上に人影はなく、サルのような顔つきの靴磨きの少年が一人、つくねんと腰かけているだけだった。
 嫌な予感というものは当たるものである。
 彼はどうした?とおののきながら訊ねるわたしに、少年は無言で指を示した。
 琵琶に絡まるように、赤白まだらの旗が風に吹かれていた。いや、それは旗などではなかった。目に映ったものが血に染まった彼の褌であることに気付くのに、わたしはしばらく時間がかかった。そしてただ切なげに、切なげに、風のように蟲丸はわたしたちの前から姿を消したのである。
 信じられない思いでわたしはその後もヤミ市に通いつめたが、一度失ったものは、もう二度と戻ることはなかった。もしもわたしが音楽を諦めた時期があるとすれば、そのときに他ならない。
 眠れぬ夜などに「RHはどうなったのだ?」と言う声が胸を打つことがあったが、わたしは酒に逃げ、布団を被って声を無視した。
 月のものすら止まるような、絶望と失意の日々だった。
 そして、昭和という時代はそのまま流れ込むようにして、未曾有のレッドパージ事件を迎える事になるのである。                      (前編終了)

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