アーネストが抱えるのは個人的に過ぎる問題だ。
それは「アメリカンサイコ」のエリスが「ルールズオブアトラクション」で指したような、パラニュークが物語ったような、クープランドが、ウェルシュが見ていたような。
その実存は彼とジオティックな環境としてのLAアンダグラウンドに絡むセックス産業の陰湿な闇が重なり、少女の行方を軸に物語られていく。
アーネストがドラックだったというだけでセックス産業で蠢く住人もまた彼と同様の「虚無」を覆うため過剰な虚飾を装っているに過ぎない。
「アメリカン4ドリーム」のアディクション。それと同じくセックスドラック暴力。虚無を隠蔽するアディクション。
アーネストがどっぷりつかっていた不安、「退屈で孤独」という虚無。
けれども15の少女が遭遇している現実的困難を前に彼の虚無は虚像として霞む。
言ってしまえばここでの虚無なんてのは気分の問題んまのだ。
それは現実的に虐げられ傷つけられた者の困難とは違う。
そもそも別の問題であるからどちらが困難か、というのは比較にならない。
けれども、彼の虚無は彼自身による自家中毒によって加速し困難さを増幅させている。