世界の終わりの後に何が残るのか、その後の沈黙をも弐瓶氏は描く。『BLAME!』における巨大な夢のようなあのシーン、『アバラ』における脱出後の世界。
それは夜で示される。
「わたし達はこんなにも寂しいんですよ」とは言葉に表さずとも、絵が語る。
星も、光もない、どこかの惑星のようですらある暗闇の海岸で、生き延びた二人が遠くに立っている。このシーンを見て、音を想像するものはいないだろう。そこは常に沈黙と、絶対的に救いのない孤独に満ちている。絵の力とはそういうことだ。
世界終末のカタルシスと、絶対的な沈黙。この両極端の動きにこそ、我々を惹きつけて止まない何かが隠されていると思う。〈世界の終わり〉あるいは〈世界の果て〉という概念に惹きつけられてもう随分になるが、いみじくも世界の終わりを描いたタルコフスキーの映画「サクリファイス」「ノスタルジア」の作品でも、世界は終末を孕みながら、沈黙に包まれていた。(「サクリファイス」の空中浮遊のシーン、「ノスタルジア」での世界を救うために火のついた蝋燭を手に川を往復するシーンなど、いずれも沈黙とは切り離せない)。しかし、タルコフスキーが示すベクトルは世界再生へと向かっていた。