そのカタストロフをもたらすのが、無機質の暴走ではなく、もとは人間である有機の暴走と言うところに弐瓶氏のドラマがある。
 人間の身体がいくら破壊されても再生するような世界(事実、『アバラ』の主人公とも言える電次も那由多も一度死んで、復活させられる)、人がモノに限りなく近づく世界では、有機と無機を分ける要素は感情ぐらいしかない。
 ひそやかに流れる感情は、言葉で説明されるのではなく、コマの動きを通じて我々の想像力に訴えかける。弐瓶氏の作品には、会話は非常に少ない。その分、我々は絵を通じて、世界を補完しなければいけない。このあたりは「バンド・デ・シネ」の方法論の影響があるのかもしれないが、その辺りは前原氏にいずれ問うことにしよう。
 はっきりと描かないものは、そのぶん想像力に訴え、我々はその空白に自己の感情をあてがおうとする。悲しみや、慈しみや、喜びや、愛情を、あるいはそれ以外の考えられる感情を。一枚の絵が世界を語りうることは十分にあるのだ。
 感情。
『アバラ』では那由多の姉妹、阿由多が暴走し、これがカタストロフの引き金を引く。詳しく説明するのは控えるが、彼女の動きが世界終末の鍵となる。

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