「映画的物語作法への懐疑」は物語の手法というところで留まり、結果として物語の構成に影響が現れ主体の剥奪という共通した結末を生んだ、ともいえる。
「ヨーロッパ三部作」のもう一つのキーワード「歴史」ではトリアー監督の歴史に対する懐疑が含まれているだろう。
歴史とは「記述されるもの」である。
歴史とは必ず「○○の歴史」として接頭語を呼び込み記述される。
例えば「俺の歴史」、「日本の歴史」といった具合にだ。
この接頭語を呼び込まざるをえないということは歴史の記述者に「カテゴライズ」を迫るということだ。
接頭語のない「歴史そのもの」を、区分せずに歴史を記述することは不可能である。
それゆえ、記述者は可能な限りフラットであることを求められる。
が、そもそもそれは可能だろうか。
「エピデミック」、「エレメント・オブ・クライム」、「ヨーロッパ」。
歴史(「エピでミック」)や事実(「エレメント・オブ・クライム」)、記憶(「ヨーロッパ」)が語られ、そのバイアスが直接フィルムに現れる。