今回のHAZEでデジタルカメラを選ばせたその理由には、フィルム撮影が困難になったこと、そしてデジタルで擬似フィルム撮影が可能となったことがあげられるだろう。
そしてHAZEを撮らせた理由にはまずデジタルカメラのガタイが小さいことが推測される。 HAZEではなによりこのカメラの小型化が貢献している。
今回の舞台はひたすら狭い。可能な限り狭い。
ぴたりとサイズの合った人型コンクリートの中であったり、寝転ぶだけのスペースしかない超低天井。
胸板程しかない薄い壁の間、体を折りたたまなくては入り込めない通路、とどうしようもなく狭い。
閉所の苦手な僕は開始早々「観に来なけりゃ良かった」と思う息苦しさだ。
この画を35ミリ用フィルムカメラで撮るには相当大掛かりなセットが必要だろう。
カメラの小型化により予算も抑えられGOサインが出たとも言える。
少しこのまま大回りして塚本作品をぐるっと巡るようにしてしばらく寄り道をしていきたいと思う。
前作「ヴィタール」で監督も言っていたし、僕自身も一区切り付いた観があった。
「鉄男」から始まり「ヴィタール」で終わる、否辿り着いた一つの塚本映画の流れ。
この「流れ」というものについて触れていきたいと思う。
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