二コル作品は清涼感があり、消費税分程度のテーマ性が残る感じだ。
けれども押井よりも二コルの方が「現実と虚構」という素材に対して遊戯的関心ではなく真摯な問題として扱っているように思えるのだ。
主観的に「これは現実か?」とその現実の脆さを扱うのではなく、
「これは偽者だ」と分かっていながらも周囲はそれを「現実」と捉えオリジナルとして関係していく。
ああ、そうか、「現実と虚構」と「オリジナルとフェイク」を混同していたか。
押井と二コルを対比させて考えるのは間違いではないだろうけれど、ずれてるわ。
現実とオリジナル、虚構とフェイク。いずれも似ているが似ているのはその項同士の関係であって、
現実はオリジナルとイクォールではない。
似ているってことは同じではないってことだ。
この二人の監督の対比で語るのは、無し。
とはいえ二コルは「オリジナルとフェイク」をテーマに扱うってことには変わらない。
いや、変わる。
「オリジナルとフェイク」ってんでなく「真実と虚構」ってのがテーマか。
だったら押井も絡められるから間違ってないんだな。