さて、アンドリュー・二コルだ。A・二コル。万歳。
「トゥルー・マンショー」で脚本を務め、その後に脚本、監督を務め劇場公開された「ガタカ」。
(製作順は「ガタカ」「トゥルーマン」であるが)軒並み素晴らしい。
ガタカは配役もイーサン夫妻とジュドロウ。抜群の映像美。文句なしの脚本。最高だ。最高。
押井守は一貫して「現実と虚構」がテーマであったりテーマに絡むが、このA・にコルも又「フェイク/リアル」に絡めてきているのは一目瞭然だ。
両者の違いの一つを(あくまで単純化した上でだぜ、ミスタア)探るなら「内面と表層」の「フェイク/リアル」か。
押井は内面、つまるところ主観から逃れ得ないことから発生する現実と虚構を実に素朴に、子供のように素朴に提示する。
おそらく「どっちが、何が、何を根拠に現実と言える?」という投げかけよりも、もっと素朴なデカルトで思考遊戯するような気軽さで「現実と虚構」で遊び、 その立脚点に主観、ようは内面が有している。
一方A・二コルは外面、表層としての「フェイク/リアル」を疑問として投げかけてくる。
観た印象は押井の方がよりへヴィで重く、説教とまでも言わなくともその種の堅苦しさ(これが堪らないんだが)を感じる。
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