「安里屋ユンタ」 大工哲弘 アルバム「蓬莱行」より
その夏は嫌な事ばかりがおき、気分的にも最悪だった。僕はイライラとしながら自転車
を走らせて、とにかく何でもいいから憂鬱な気分を吹き飛ばして、たまった不安を吹き飛
ばしたかった。
別にはっきりしたトラブルというわけではないのだけれども、周囲との関係もうまくい
っていないし、部屋に帰ると孤独感ばかりがつのるし、相変わらず慣れない仕事はやたら
と緊張するし、何よりも生まれて初めて「不眠症」という奴にかかってしまって大変だっ
た。理由は教えない。まあ誰にでもある話さね。
深夜の2時・3時になっても全く眠れない。布団に入ると心臓の動悸がひどく、そうい
うときには決まって肩が凝って、血が通わなくなった足の先は冷えていた。
朝が来ると起きるのだが、睡眠時間が短いせいで頭もはっきりしない。何よりもストレ
スに過敏になって神経が擦り減る。僕は周りに笑顔を見せて、日常をなんとなくごまかし
つつ過ごすことはできるのだけれども、その裏で何かが切れそうな危うさを感じていた。
と、まあこんな事ばかり書き連ねていても仕方がない。まあ、その夏はそんな不安を感
じながら自転車を走らせていたのである。
大工哲弘さんと会ったのは、その古本屋でだった。店主がカウンターに一人座ってて、
ちょうど店の中でこのアルバムが流れていた。最初なんとなく聴いていたのだが、しまい
に本を探すよりも音楽の方に注意が向いてしまった。
のんびりした三絃が流れるところは、いかにも沖縄音楽のムードなのだが、その上にか
ぶさる大工さんの声が実にいいのだ。味わい深いというか、下手うま、というか、たとえ
ると町内会のバス旅行で、町内会長さんが真剣な顔して唄いはじめたと言うか。
店主に声をかけて、この音楽は誰なのか聞いた。大工哲弘という人だった。それまで沖
縄音楽などBEGINか、元ちとせぐらいしか知らなかった僕だったけれども、あわてて
タワーレコードに走って買ったのが、今回のアルバム。「蓬莱行」だった。
このアルバムを部屋で聴いていると、なんだか「これでいいんだ」という気になった。
夏だし、天気はいいんだし、焦ることも心配する事もないじゃないか、と。
あんな癒され方は初めてだった。ただ部屋の中で音を流して、和んだ。
アルバム「蓬莱行」は、おそらく大工哲弘の中でも屈指の名盤だと思う。幾つか大工さ
んのアルバムを持っているけれども、楽しさ、完成度を見ても、やはりこれが一番。
沖縄音楽というと最近日本でも人気で、あれやこれやと現代風にアレンジされた沖縄音
楽も多く出ているようですが、この人はぜんぜん今風ではない。とはいえ、古いわけでも
なく、ただただ曲を良くしようとして、結果独自のアレンジになったんだよな、と言うし
かない。
そういう意味でも、音は大陸的だ。色々人間が雑多に集まって音を出している感じとい
えば分かるだろうか。
歪ませたエレキギターが後ろで流れているかと思えば、ノコギリで音を出したり、おも
ちゃみたいなピアノの音とか、とにかくガチャガチャしたガラクタ箱みたいな音のくせに、
しっかり沖縄なのがすごい。次のアルバム「ジンターランド」では、何気にエレクトロニ
カ風のアレンジで童謡の「シャボン玉」を歌ったりと、大工哲弘自身が八重山の民謡の歌
い手でありつつも、固まっていないのも嬉しいところです。
大工哲弘の出た竹富島は、僕は行ったことはないんだけれども、日本でも屈指の南島。
日本からも沖縄からも搾取され、台湾に出稼ぎに行ったりという歴史がある、なかなか大
変なところのようである。そこらへんを唄った歌も多くて
「標準語励行の唄」「琉米親善の唄」などなど、のんびりと楽しいメロディーのなかに、チ
クリと刺すような歌詞がある歌なんかもある。
そこら辺の環境からあんな唄ができたたんだろうなあ、と思うと、どうしても僕は沖縄
の唄の深さを感じてしまう。人間なんだから、幸福ばかり続くわけじゃないし、不幸だっ
て絶対に避けられないけれども、泣いてばかりではなく、唄に昇華するその力はすごい。
またアルバムの最後を飾る「トラベシア」はブラジル音楽の巨匠ミルトン・ナシメント
の「ブリッジ」という曲のカバーだけれども、かなり良いです。日本人には本家よりもこ
っちの方が伝わるかもしれない、というぐらいの祝福の名曲。
この歌詞とメロディーに浸されていると、今でも僕は本当に涙が出て泣けてしまう。も
しかしたらそれは、僕が歌詞に思い入れを込められるほど、色々と傷つき年取ったという
ことかもしれないけれども。
でも、あの日、このアルバムを聴きながら、寝転がってぼんやりしていた時間は本当に
素敵だった。本土生まれの僕の、沖縄に対するあこがれは差し引いても、確かにあの時、
大工哲弘の唄によって僕はどこか別のところに連れて行かれたのだから。
作り手の愛情がこちらにも伝わってくるような、そんな有機的な「いいアルバム」です。
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