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「ぼくはこんな音楽を聴いてきた 4」 by EJ TAKA (from「自分BOX」)
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  2 Rights Make 1 Wrong」  MOGWAI アルバム「Rock Action」より

 小さく小さく、遠いところから一つのフレーズが始まる。その繰り返しに、ベースが加 わり、ハイハットが加わり、補完するようにシンセが加わる。やがてそれは巨大な音にな り、ノイズすらも呑み込んだ大きな音の塊になり、耳を澄ませる我々をどうしようもない 高揚感にいざなってしまう。
 この手法は魔力と言ってもいい。そういっても大げさではないぐらい、モグワイの音楽 は聴く我々を刺激し、心の底から酔わせてしまう。
 ミニマリズムという手法が音楽の中で大々的に取り上げられるようになったのは、19 97年かそれぐらいからだろうか。DJがレコードをリピートさせる事から始まったとか、 現代音楽家のスティーブ・ライヒが最初だとか色々と言われているけれども、それよりも 前からミニマルは存在していたはずだ。それは宗教行事としてのリズムの反復であったり (ライヒが結果的にアフリカのドラミングにたどり着くのも必然だといえる)、ジャワ島の ガムランであったり、つまりは最初からそこにあったのだ。
 あったものを発見し直し、洗練すること。そんなことはなかなか難しいものだけれど。
 
 モグワイはその再発見をバンドというフォーマットで行った。デビュー時、彼等が「恐 るべき子供たち」と呼ばれたのも、その音楽的な嗅覚の鋭さによるものだろう。
 2人のギターに、ベース、キーボード兼フルート兼ギター、それにドラムの5人組であ る。最近のアルバムでは徐々に歌が入るようになったが、基本的にはインストを演奏する。  そして彼等の登場後「ポストロック」というジャンルが誕生する事になる。それは数多 くのフォロワーを生み出し、ロックという音楽が少し枝分かれした。
 すこし考えてみよう。
 基本的にクラシックの時代から、音楽はメロディーをどのように料理するのか、そうい った方面の洗練に力を注いできた。そのマニュアルの結集が形式であり、例えばソナタ形 式を例に取れば

 (序奏)→「提示部」→「展開部」→「再現部」→(コーダ)

 へとつながる一連の型がある。ある主題フレーズを、どのように展開し、転調し、他の 楽器に受け渡してゆくかが、いわゆる形式に従った曲の完成度を左右する。
 それらの音の並びが鍵盤の展開による〈横〉の並びだとすれば、モグワイは一つのフレ ーズを重層的に重ねてゆく、いわば〈縦〉の音楽だ。真っ直ぐ前から見ていると、それは 一つのフレーズの繰り返しに過ぎないが、その後ろには重層的に音が増えてゆく。
 これは全く方法が違う作曲の方法だ。
 そして受け取る側の僕たちも、違う種類の感動を受け取っている。

 重層的に積み重なった音は、最終的にぶ厚い音となり、一種、轟音とも取れる音の塊と なる。その増えてゆく音の高揚感が導き出すもの、それがカタルシスだ。
 カタルシスとは何か?もともとは生理的な意味で「下痢を起こさせる」ということを指 したそうだけれども、それを精神の問題に置き換えたのはアリストテレスだった。
「ギリシャ悲劇を観客が好むのは、悲劇をみることで自分の心が浄化されからだ」
 アリストテレスは、『詩学』のなかで、カタルシスという語の意味を、このような精神の 浄化作用にまで高めたが、アリストテレスを出さなくても、モグワイの曲に耳を澄ませて みればそれがどういうことなのか分かるだろう。
 僕はライヴには余り足を運ばないし、ついつい面倒だと思ってしまう人間だけれども、 狭い場所でモグワイの音に触れる瞬間、そのカタルシスはすごいのではないか。
 繰り返しの持つ力と、膨張する音の洪水。その轟音と感動が僕等を浄化する事はきっと ある。音楽の力とはそういう事なのかもしれない。

MOGWAI
Rock Action
BLUE HEARTS
2001/4/24
CD
\1857
Play It Again Sam
収録曲
01 Sine Wave
02 Take Me Somewhere Nice
03 O I Sleep
04 Dial: Revenge
05 You Don't Know Jesus
06 Robot Chant
07 2 Rights Make 1 Wrong
08 Secret Pint
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