ASTROBITE
「PINKSHINYULTRABLAST」より
どうしようもない程にastrobriteのフィードバックノイズの洪水は欲情させる。普段は使わないヘッドフォンを引っ張り出し余すところ無く脳髄に叩き込もうとヴォリュームを捻る。
決して「ロック」な激しさではないのに髪が逆立つ。煽られる。引っ張られ、持って行かれる。僕は「祈り」という行為、「祈る」という行動を意識的に選択しないが、気が付けば祈るような気持ちで何か物事に取り組んでいることがある。そんな時全身を満たしたくなる轟音。賛美歌のような美しさ。爆縮の瞬間焼き付けられる風景。天使というのが炎から生まれたとするならば、奴らが奏でる歌はこれだろう。光が音を発するならば、空気を震わすのはこの音圧を肌で感じるのだろう。
マイブラチルドレンと批判的に語られてしまうネオシューゲイザーというムーヴメント。80年代後半から90年代初頭に「アノ音」にやられた輩が自然と放ち、行き着きた、どり着いた音楽が現状言われるネオシューゲイザーなのだろう。この現象を単なる再生産とし「他のマイブラチルドレンからは一線を画す」と文句を並べ差異化を図るやり口には賛同できない。マーケットから誕生し生産されたムーヴメントではなく、降りしきった雨が今川をなして流れ込んでくる状況なのだろう。
音楽だけではなく、小説、漫画、映画といった選択可能な文化とも風景を共有しうる流れがオルタナティブで発生し始めるのだと思う。選択可能な文化だけではなく、僕らの日常生活、友人との会話、衝撃を受け目に留まり記憶に焼きつく景色もまた、呼応するかのようにムーヴメントを形成していくだろう。
本来共有されるべき歴史は世代の共感、共通項に取って代わられ、出来事は悲劇的なもののみばかりが僕らの歴史認識として蓄積されていく。
「世界は認識によって代わりうる」といった幻想すら嘘臭く思え、自意識過剰と自家中毒の虜になりつつ状況や己の置かれた環境でのみ大人としての振る舞いを身に付ける始末。プライドの肥大。花開かぬ誇り。まさに中途半端。真の意味でのクソのようなパンク。
暇つぶしのため選択された趣味なのか、本当にそれは一部の人間を隔離してまで得た「選択」すべき「日常」であったのか。感傷やささいな出来事をドラマチックに演出し、日常に花を添え満足してはいないか。
自問自答を繰り返しながら正しさや意味ではなく、信じるに値するものを具体的な行動で「日常」にフィードバックさせんと目覚め、そして眠りに付いたか。大事なものを大切にしているか。
メーンストリームからはぐれたオルタナティブで、astrobriteの轟音の賛美歌は確実に心に響く。脳髄を打ち砕く。
騙されたと思って聞いてごらん。台詞を捨てて、どもりながらも言葉を友人と交わしたくなるから。本当にここには綺麗な音があるんだよ。
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