結城一誠過去作品展示
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『ツィゴイネルワイゼン』 1980年:145分:日本
「ツィゴイネルワイゼン」ジャケット

+INTRODUCTION+
狂気にとり憑かれた男女を幻想的に描いた作品。夢と現の交錯する物語が妖しく美しい極彩色の映像の中で展開される清順美学のひとつの到達点。鈴木清順監督を代表する傑作のひとつ。ドーム型移動映画館“シネマ・プラセット”で製作・上映されたことでも話題に。

+SYNOPSIS+
大学教授の青地(藤田)と元同僚の友人中砂(原田)は旅先で、芸者・小稲(大谷)に会う。一年後、結婚したという中砂の家を訪ねた青地は、その妻・園が小稲に瓜二つであることに驚く……。

監督
鈴木清順 /TD>
脚本
田中陽造
編集
神谷信武
出演
原田芳雄
藤田敏八
大谷直子
大楠道代
麿赤兒
真喜志きさ子
樹木希林
木村有希
玉寄長政
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REVIEW by 結城一誠

 私的だがここ10年間で最も観たい映画NO.1だったこの作品。元々この映画の題にもなってる「ツィゴイネルワイゼン(表記に寄ってはチゴイネルワイゼン,チゴイナーワイゼンとも/独語で“ジプシー風”の意)」(パブロ=デ=サラサーテ作曲)というヴァイオリン曲が好きで、いつかは観るぞ、と思っていた。しかし、これまで、もしや内容が半端だったらなあなどと邪推したためになかなか観る気になれなかった訳だが、先日鎌倉にある画家宅を訪問した際にこの曲がかかり、観るしかないなと直感した。という経緯で今これを書いている。
 映画の内容はどうだったかと問われれば、この映画の監督である鈴木清順の当時の言葉「死んでる人が生きていて、生きている人が死んでるような…まあ一種の怪談ですね」に集約されるように正に 耽美なホラー映画だった(コメディでもあったな)、と思う。 ストーリーの流れや登場人物の相関関係を精緻に解析してる間もなく、映画は進行していく。一般的に鈴木清順監督といえば、人工的でキッチュな作風から熱狂的なファンが多いというが、まあそれはよく分かる。この映画の場合はそういった作風・感覚の極致とも呼べ、不自然に妖しく、怖い場面の連続だ。何せ冒頭から、水死体の女の股間から真っ紅な蟹が出て来る。盲人の門付けが殴り合って頭から泡や血が噴き出すかと思えば、シーン入れ替わって主演者がすき焼や懐石料理を食っている。ブニュエルを意識したのか、男の目に付いたゴミを舌で嘗め取る女がいたり、ひたすら蒟蒻を千切る女がいたり。この映画ではそうした奇行が監督以下スタッフの美学によって切り取られているのが魅力である。
 ロケ地はどうも鎌倉近辺のようだ。中世峠を切り開いて作ったという“切り通し”が重要なポイントとなっており、登場人物は材木座に住まい、江ノ電も出て来る。あと、この映画にはもの食うシーンが多い。トウモロコシ、すき焼、鰻、蕎麦、腐った水蜜桃、そして真っ紅な蟹が食った女の水死体…食うことをフィルムに収めることで食うことを一度記録として美醜の彼岸へ追いやり、観る者には圧倒的な動物的感覚と欲望を復元的に萌えさせる。つまり、こうだ。他人が食うことはあくまで他人のオーガニ
ズム、しかし観る者はそれをサディスティックに受容し勃起に至る。
フィルムに映る人の食事が嘔吐を催させたりするし、この世のものでなさそうな食い物が訳も分からず美味そうに見える。そういう効力のある映画は怖い。この『ツィゴイネルワイゼン』もその手の怖い映画なのか。  これも私的な観点だが、この映画は食うことを点として、それを伝って引かれた線を辿って物語が展開している。映画は作曲者のサラサーテ自身が弾く「ツィゴイネルワイゼン」のレコードに、サラサーテが何事か聞き取れない声で喋っているのが吹き込まれているという会話から始まるが、とはいえ結局この映画、この声の謎を紐解いてくというミステリーではない。あくまでも地に足着かぬメタな部分で、このミステリーの罠に苛まれて行く衣食住営める人間模様とそこに現れる怪奇現象をエログロナンセンスで味付けたまでのメタミステリーなのだ。かといって食うことやその他の文化的観点に主眼を置いた作品ではなく、人間の生死を妖しくも耽美の感覚で描いている。従って、食うことや様々な文化的事象、風景は生死の混在する空間を彷徨う人間存在の隠喩であろうと思われる。盲目の門付け達もしかり、である。
 映画の私見と概要はここまでにして、俳優陣に目を向けるとこれまた凄い。原田芳雄、大谷直子、大楠道代、麿赤児、樹木希林そして藤田敏八。主人
公・中砂糺を演じる原田芳雄。奔放かつ凄みのある演技は、松田優作をも凌ぐだろう。
その妻・園と後妻・小稲二役を演じる大谷直子。メロドラマのイメージが強い人だが、この映画では台詞を怖く吐く人だ。青地周子を演じる大楠道代は『座頭市』を観た人ならこの人の名演技に覚えがあるだろうか、ここでの柄は軽くもその素振りはエロい。周子の夫・豊二郎を演じるは今は亡き映画監督・藤田敏八。この人の顔は淡泊な言い方だがはっきり言って狡い。しかし本業は役者ではなく数多のピンク映画や『八月の濡れた砂』『リボルバー』などの監督を務めた人だ。ただ印象には残る。平成教育委員会にも解答者として出ていたぞ。この四人がメインだが、他に要所要所で麿赤児や樹木希林、真喜志きさ子などが脇を飾る。といってもこの映画、日本ATG配給でロウバジェットにより撮られたことからキャストは少ない。他にも気になる俳優はいるが、これはあまりに極私的で、いやそれ以前にこういう話はこの枠をワイドショウ化してしまうので、この辺で消火しておく。
ちなみに、この映画のスチール写真撮影は荒木経惟。映画版では観れない妖艶な感覚が漂っている。ミステリーやサスペンスのように推理、想像の種が膨らむシーンを一粒たり、一滴たりとも残してはならない、いや見逃してはならない。が一方で、物語が不明瞭な分、観る側に変則的な文法での
解釈を強要する部分もある。だが、良い。狂ったように自由に観れば実に色々見えてくる不思議な映画だ。

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