「精神」をきっかけや原因としてドラマが発生し、クライマックスを迎えるきっかけや原因がやはり「精神」に依拠する英雄譚的プロットの創作物。
多分これがPSYCHOをSFと言い間違えたことから導き出せるSMGのサイコフィクションだろう。
「Boy in the box」には大阪弁、標準語ヴァージョンと二通りが用意されている。
下北沢最終上映日に行くほか無かった僕が観たのは大阪弁ヴァージョンの方だった。
怒涛の大阪弁と言うこともあったせいか情報の「量」ではなく「速さ」に、
又登場人物の造形の異様さも加わり物語りも僕も混乱しきったままたまま前半が続く。
では前半の流れをざっと見ていこう。
主人公は木箱の中にいて唯一の隙間、鍵穴からリヴィングを眺めており、基本はこの視点で物語りは進行する。
まずは登場人物の紹介がある。
頭が明滅する白色電球のパパ。やはり頭が鉢植えの花がパクパク動くママ。やはりやはり首から上が気分や思考を映し出すテレビの姉。
やはりやはりやはり頭部がセロハンテープの弟。
特異な人物造形に一切の説明も無いまま、かつ怒涛のごとく大阪弁で繰り広げられる圧倒的ディスコミュニケーションの嵐しが展開される中、主人公の少年が登場人物一人ひとりを紹介していく。