泥男「HUMOR」ジャケット 以後、春夏秋冬一本ずつ東名阪ツアーを行うなどライブ活動が旺盛になる。
翌86年〈ブートレッグヌギヌギ〉からのセカンド「HUCKLEBERRY JAM」をリリース。
国内で全70公演からなる〈フライト・アテンダント・ツァー〉を敢行するも、疲労困憊意気消沈。
91年、泥尾単独制作によるアルバム「俗物」を発表するまではほぼ沈黙。以降、企画盤「不能」、 EP「シャララ」など問題作を連ねるも、以前までの暗色路線通じず極度の悶絶を経る。
このアルバムは当時DCファンだった雑誌「山と渓谷」編集者が誌上で賞讚し て以来、山岳登山家、果ては極寒帯及び海洋冒険家の愛聴盤ともなった。
その所以は謎だが、斯たるブームの火種を作った件の「山渓」編集者によれば「DCの音楽は自然的でない。
その音色の人工的というか、とても自然謳歌とは似つかわしい所がウケるんじゃないでしょうか。
ほらチョモランマ登ったとしても、その頂の氷で空腹を満たす、ってのは現実であっても欲望からすれば程遠いでしょ。
+prev+       -2-       +next+