「あったかくしてますか?」と名優田中邦衛がへんにホモっぽい口調で語りかけてくるストーブのCM、本州では見かけませんね。流れていないのかしら。郷里ではあれが流れると冬が来たんだなあ、と感じたものでしたが。
さて、今回のテーマは「がっかり」であります。
がっかりしてますか?私はしょっちゅうしております。あんまりしょっちゅうがっかりする機会に恵まれるので、なかなかストレートに希望の抱けない人間になっております。
「明日は遠足だ、わーいわい」と思って窓を開けたら雨、という悲しいオチよりも「どうせ雨が降るんだから…」と思っていたら晴天、という方が断然嬉しいではないですか。サンタは来ないもの、チョコレートは貰えないもの、自転車とお腹は外出するたび壊れるもの、と日々考えて生きるようにしております。スケール小さい?悪かったわね。小さいよ。
なるべくがっかりしないように、落ち込まないようにと周囲に予防線を張りめぐらせている私ではあるが、こと本・映画・音楽に関してだけはつい過大な期待を抱いてしまう。「どうせまた詰まらないんでしょ?」と嘯きながらも、心のどこかでは世界観がガラガラッと音を立ててひっくり返るようなトテツモナイ傑作を期待してしまうのだ。
いけない、いけない、こんなことでは寿命が縮む、もっとドンヨリしなくては、と思うのですが、なかなかいけませんな。魚眼を得る日はまだ遠い。
たとえば書店で山田正紀の新刊などを見つけ、それがいかにも「良さげ」なタイトルだったりすりすると、オウ!と叫んで立ちつくしてしまう。冗談ではなくみるみる血圧があがって、期待と興奮でクラクラする(前回も書いたように、私は自律神経が弱いのである)。
まあ山田正紀先生の作品は落胆・幻滅とは一切無縁だから良いのだが、それにしてもいつもこんな調子なので、タイトル、帯、装幀にはコロリと騙される。もう引っかかるまい、やられるまい、と思うのだが駄目だ。まんまと騙される。なるほど、ホストに全給料もっていかれる年増女というのは、こういう気持か。
この正月も早速がっかりさせてくれる本に出会った。それも二冊もだ。
■倉橋日出夫著『夜空に沈んだアトランティス』(学研)
■霧島高雄著『宇宙人恐怖の思考回路』(ハート出版)
すごいタイトルでしょう。前者はなにやら壮大なビジョンが浮かぶし、後者にいたってはもうこのタイトルを決めた時点で「勝ち」が決まったようなものである。と同時にがっかりの予感もほのかに漂ってくる。傑作なのか?奇書なのか?これは買わねばならないだろう。
まず前者から。アトランティス大陸本である。
プラトンが『クリティアス』『ティマイオス』において記述したアトランティス大陸は、大西洋に水没したとされるものの未だその確たる痕跡は発見されていない。ならばプラトンの記述にミスがあったのではないか?その地は大西洋ではなかったのでは?そう考える論者たちによって、これまで無数の仮説が提示されてきた。
N・F・ジロフは腕がもげるほどの大著『アトランチス大陸研究原典』において、「多分これほど多数の文献をもった問題はない」「アトランチスの所在地が北極から南極に至る、ありとあらゆる場所にあったという想定に出会っても驚くに足りぬ」(小泉源太郎訳)と述べている。確たる証拠がないのだから、言おうと思えばなんだって言えるのが、アトランティス研究というジャンルなのだ。ちなみに「北極から南極」までとジロフが述べているのは誇張でもなんでもなく、実際にチャールズ・ハプグッドらは「アトランティス大陸=南極説」を唱えているのである。
あらゆる角度から検証しつくされてきた問題なので、今日では説得力があり、かつ刺激的という新説はなかなか出てこない。時おり「ここがアトランティスだ!」という海外ニュースを目にするものの、結局は証拠が出ないままに立ち消えになるのが運命である。さあ、そこへ来て『夜空に沈んだアトランティス』だ。
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